○中西政府委員 漁業取り締まり船の新造ですが、白龍丸という四百三十トンの船の就航が四十年度から予想されます。その関係の船員でございますが、二十名が乗り込むことに相なります。若干の一般職員からの振りかえを考えておりますが、なお新規増員がどうしても必要であるということで、定員の増加をお願いしておるものでございます。
今般の引き揚げの特徴の第一は、昭和二十四年七月二十三日白龍丸が真岡より函館に入港して以来、八年間の引し揚げ空白状態であった樺太地区在住者の引き揚げ再開であることであり、このことは、最近ほとんど引揚者のないことにより、未帰還調査の盲点となっておりました樺太地区の調査の好機が与えられ、また、この方面の引き揚げを今後も続行せしめるための道を開いたものであります。
しかし気持の上から申し上げましたら、私がかつて白龍丸でしたか高砂丸でしたか、舞鶴に入港しましたときに、国会から派遣されて出迎えに行つたことがある。御存じの通り、あのときは非常にもめておつて、社会党の私どもがなれておるだろうということだつたと思いますが、私ども埠頭に行つてみると、若い婦人たちが先頭に立つて赤旗を振つている。そうして最後に歌を歌つたあとで徳田書記長万歳をやつていた。
興安丸、高砂丸、白龍丸、白山丸、この四つを出したと思うのですが、これは政府のほうともいろいろ御相談をいたしまして、高砂丸と白山丸は一応必要がなかろうというわけで、丁度十一月の五日に契約の期限が切れたものですから、二つのほうはそれをやめまして、現在契約しておりますものは興安丸と白龍丸でありまして、そのことは今月の七日の日にモスコーの代表団宛に知らしておきました。
(拍手)すでに濠州政府の了解を得ましてお迎えに参りました白龍丸は、七月三十一日午前十時現地を出発し、ただいま日本に向つて航海中であります。昨二日午後九時、白龍丸から、このたびの内還は、議員各位、特に引揚委員長等の御同情と御努力によるところ大なりと考え感謝にたえず、なお今後一層御高配をお願いする、マヌス戦犯一同、という電報が来ました。
御承知の通りに、そのころから、一つはフィリピンのモンテンルパから釈放される、あるいはこちらに送還される方の輸送の問題があり、それに引続きまして、マヌス島からこちらへの送還問題がございましたので、これが離船につきまして、一つは引揚船の白山丸をこれに使い、もう一つは引揚船の白龍丸をこれに使うことにいたしまして、大体白山丸の方は、その次のこちらから中国の方に配船をいたしますまでに聞に合うという一つの確信をもつていたしたのでありまするが
それはそれといたしまして、田邊次長にちよつとお伺いいたしたいのでありますが、白龍丸をマヌスの戦犯者の帰還について配船していただたそのいろいろお手続をなすつていただいたことについてはまことに感謝いたしますが、白龍丸というのは非常に足がのろいのでありまして、これをああいう非常な遠方におまわしになるということは、船をチヤーターする費用から言つても大変なことだと思うのであります。
○田邊政府委員 マヌス島の戦犯者の釈放の問題につきましては濠州の方と外務省とで、こちらに引取ることについてこまかい折衝を遂げまして、話合いがまとまり、船が向うに行くことにきまりまして、船も白龍丸と決定したわけであります。
ただ今日中共からの帰還という大事業が進行中でございますので、これに支障を生じないように、しかも今日日本側で持つております非常にきゆうくつな船舶状況を考えまして、結局白山丸か白龍丸しか都合がつかないということに相なつたわけでございます。それで運輸当局におきまして、いろいろな点を考慮せられまして、結局白龍丸ということに御決定になつたわけでございます。
参つたのでございまして、この経緯は存じませんが、今の大瀧さんのお話、それから今ここで声明文を見ますと、在日華僑の帰国並びに遺骨送還について日本政府の頑迷なる態度は中国人民と紅十字団に非常なる失望を与えた、日本政府の反省を促すために三団体がこういう措置をとつたということが書いてありますから、これは出港に関するものだと思いまして、その点につきましては、赤十字としてはそういうようなことに出ていないから、白龍丸
○工藤参考人 ただいまの白龍丸乗船三団体代表の声明につきましては、先ほどもお答えいたしましたが、この白山、白龍丸の出港遅延は日本政府の反省を促すために三団体でとつたというようなことを声明されておりますが、先ほど申し上げましたように、日本赤十字としては、こういうような政治的行動をとつた覚えは全然ありません。
かようにいたしまして、七月の六日に白山丸、白龍丸が先ず舞鶴に帰り、それから八日に高砂が帰るというような電報が向うから参りました。我々といたしましては向うにその出迎えのために出かけているわけでございます。七月六日には只今委員長から御報告がありましたように白山丸、白龍丸、この二船が帰わました。午前に白山丸、午後に白龍丸、両方合せまして一千七名の人が上陸をいたしたのであります。
○千田正君 只今委員長の御報告の通りでありまするが、我々委員会一同といたしましては、このたびの舞鶴におきますところのいろいろな、白山、白龍丸の帰還者が集つて日本政府に対しての要求を掲げて、帰還事務に非常に停滞を来しておるということが、新聞及びラジオを通じて皆さんが御承知になり、非常に御心配になりまして、十日の日でございましたか、金曜日でございます。
山下委員、榊原委員、林委員と私と、四名で七月五日より舞鶴に参りまして、第四次帰還船の白山丸、白龍丸の帰還者をお迎え申上げまして、帰還事務の調査をいたしたので、その御報告を委員長から申上げたいと存じます。 七月六日午前十時白山丸が入港いたしまして、やがて一時間ばかり遅れまして白龍丸が入港いたしました。両船の帰還者は雨の中に上陸をいたしました。
ところが、こういう事態になりまして、白龍丸は入港したのが六日でございますから、従つて昨日出発の予定が、今日に延びておるという状況でございます。 出しておる十三項目は、実は先般第三次船を迎えに参りましたときも、これとほとんど同じような要求がありました。私も二日にわたつて長時間引揚者及び二団体の代表の方と十分懇談いたしました。
それは、白龍丸の諸君が声明文を出している。その声明文の一部を読んでみます。「人道と友好に基く在日華僑の帰国並びに遺骨送還について、三団体及び民主団体の熱烈な要望にも拘らず、日本政府の頑迷なる態度は、中国人民と紅十字会に対し非常な失望を与えた。
しかし、現地における代表が、たとえば、すでに済んだ事件ですが、白龍丸事件、そういうようなものについて、政府が陳謝をしなければ乗船をしないと言つておる。
お尋ねしておる点は、今朝の新聞によりますと、遺骨問題の解決と、白龍丸事件に対しまして政府の陳謝がなければ、白龍、白山丸の乗船代表は乗船しない、こういうことが出ております。これらの行動につきましては、あなた方は責任をおとりになる立場にあるかどうか。すなわち、あなた方のこの協会なり連絡会なりの一体の行動として私たちは考えて行くべきものであるかどうか、その点をお伺いしたのです。
今朝の新聞紙によりますと、白龍、白山丸等の日中友好協会あるいは日本平和連絡会の乗船代表の方々が、遺骨問題の解決と白龍丸スパイ事件に対しまする政府の陳謝がなければ乗船をしない、こう言つておられるという記事が実は見受けられました。それらについて、これは団体としての御意見と拝察してよいのか、あるいは個人としての御意見として承つておけばいいのか、その辺からちよつとお伺いいたしたいと思います。
なお、現在のところ、先方に参りまする帰還輸送船の高砂丸、白山丸、白龍丸の三つの船につきましては、高砂丸は、先般門司に参りまして、予定の出港日に二団体の代表者が乗らないということのために、出港できない状態になつておりまして、現在これが乗船されるのを待つております。
われわれの方としては自主的に、凍霜害対策、白龍丸事件、演習場の問題は遠慮しまして、十三番のイラン石油問題一つにいたしますから、それはぜひやらしてもらいたいと思います。
興安丸と高砂丸、これには医師を三名、看護婦十五名、それから小型船は五百人乗ります、白山丸と白龍丸でこれは医師一名、看護婦六名、大型船は先ほど申しましたように約二千名、小型船は五百名でございますので大体この比率で一応いいのじやないかと考えられます。これは当初もう少し少かつたのでありまするけれども、第一次輸送船の実際の実情によりましてこれを改めまして医療は殖やしました。
そういたしまして、これに対しましては、日本政府側からは、代表団の事務所を通じまして、高砂丸が三月十五日、興安丸が三月十九日舞鶴を出ることができる、それから白龍丸は三月十五日に舞鶴を出港することができる、港は三つでもさしつかえない、なお港別送還人員を決定次第知らせてほしいということを向うへ言つてやつたわけであります。
なおそのほかに、十五日に白龍丸を出すこともできるので、その方の準備もいたしておりますが、これは五百名乗船ができます。合計いたしまして、現在のところ四千二百名は乗船できるのですが、もしもそれ以上になりますれば、さらに手配をすることに相なります。
これが大体白龍丸でございます。それからもう一つ宗谷丸、これは元海軍の軍艦であります。これは今運輸省の青函線かなんかに使つております。これも使い得る態勢にあります。もう一つは運輸省が持つておる船でありますが、ちよつと今私名前を憶えておりません。
私共の方でチヤーターしております船は白龍丸、これは現在裏日本と北海道までの定期航路はやつております船で、必要とあればいつでも持つて行くことができます。これは簡單に数日のテストを以て企画さえあればできるわけでございます。
そこで今年の六月の末に徳壽丸、それから七月に間宮丸と白龍丸の三隻の引揚船がありまして、私はその間宮で帰つたのでありますが、その三隻を合せて約四千九百程帰つております。そうすると、大体六千五百と推算される数から四千九百をマイナスしたのが現在の残留同胞の数だというふうに考えられます。これは推算でありますから多少差違はあるのですが、大体において余り大きい違いはないと私は確信します。
千歳丸は農業に從事しておつた方ばかりでございまして、明治の時代に向うへ行つてすでに向うで二世、三世というような、ほとんど内地の縁の切れていた人たちで、殊にそういつた事情で無縁故者が多かつたのではないかと思つておりましたが、第二船の白龍丸、続いてはいりました新興丸もやはり三〇%上まわる無縁故率であります。